東京モーターサイクルショー番外編ヤヴイヌの朝【アニマルスパイヤヴイヌ】

もっとも過酷な朝食

その日ヤヴイヌは品川にいた。日本一大きなバイクの祭典「東京モーターサイクルショー2026」に参加するためだ。年に一度のこの祭典は、来場するライダーたちにとってとても大きなイベントであり、シンボリックな意味合いを持っていた。誰もあえて口にはしないが、多くのライダーたちにとっては3月末のこの集いは特別であり、そこに集まる12万人ものバイク信者たちは互いに口角に泡をたたえながら、お互いの思いをぶつけあうのだ。もちろんそれはヤヴイヌにとっても例外ではなかった。ヤヴイヌはよりよい神泡を吹くために英気を養う必要があった。まるで冬眠前のクマのようにヤヴイヌはホテルが用意した朝食会場に向かうのだった。ちなみに格安ホテルの朝食というのは、往々にして問題がある場合が多い。特に一泊一万円を切るようなビジネスホテルの場合、「朝食付き」とうたうためだけに用意されたとんでもないものが出てくることがある。以前ヤヴイヌが経験したのはまさにそんな朝食だった。もちろん期待はしていなかったのだが、一枚ずつサランラップにくるまれた食パンが、お代わりができないように一人一枚ずつ渡された時には驚いたものだ。もちろんおかずはジャムのみだ。それならば朝食付きと謳うのではなく、「食パン一枚付き」と表記すべきだ。食パン一枚では口角に神泡を湛えることなどできないのは推して知るべしである。しかし格安ホテルの朝食というのは、とても難しいものであることも我々イーターサイドで理解する必要があるだろう。限られた予算やホテルという一応高級感を売るにしている手前、レベルを測りやすい朝食というゲージにどこまでリソースを割くかは経営者のセンスが問われるところだ。そこまで目線を下げれば、食パン一枚という割り切りも一つの方針であり、ホテルサイドからのメッセージと捉えることもできる(あまりいいメッセージではない)が、なんにせよそれっぽい朝食バイキングが提供できるのであればそれはすごい事である、と思う。

彩(いろどり)

朝食会場はホテルの二階にあった。入り口には「いろどり」とある。随分と自信のあるお名前をお付けになったものだ。食卓を彩るのは、そう簡単じゃあない。ホテルの朝食ともなるとなおさらだ。ヤヴイヌはすべるように入り口に入っていった。その先に驚きの光景が待ち受けているとも知らずに。

中に入って、ヤヴイヌは息をのんだ。それほどの覚悟と期待をしていなかったからだ。眼前には、小綺麗に彩られた朝食たちが並べられていた。こいつは、ちーとばかし真剣にならんといかんな。そうつぶやくヤヴイヌの口元は、唾液で光っていた。

長いテーブルには、パンや温野菜、健康そうな緑色をたたえたサラダ、そしてわかめご飯やカレーライスまで置いてあった(野球選手も安心だ)。

パンは3種類。色々試せるように小ぶりなサイズ設定が嬉しい。

こういう場合、プロはいきなり皿に取りはしない。まずは一度すべてを見てからはじめて計画をするのだ。すべてを見渡し、最後のひとくちがどの様に美しく終わるかを想像しながら始めるのだ。後味を綺麗に決めると、その食事自体が小さな思い出となりその日1日に美しく色をつける。まるで充実した1日に眺めるオレンジ色の夕日のように。そのオレンジは見渡す限りのすべてを染め上げていく。世界はその瞬間、美しく一体となる。もちろん、そこに私も含まれる。これ以上の幸せがあろうか。素晴らしい人生は、朝食によって始まると言っても過言ではない。では、早速吟味を始めるとしよう。

キッチンからの挑発

まずはおかずを見てみる。

最初の1つ目はスパイシーチキンだ。

チキンが目に入る。ツンとしたスパイスの香りが食欲を誘い、いかにも美味しそうだ。明らかにこの彩りの中でも主役級と言えるだろう。しかし、私はパスすることにした。他の料理のラインナップを見渡したときに、このチキンはいささか強すぎる気がしたのだ。

朝食はバランスが何より重要なのは今更語る必要も無いのだが、ほかのラインナップに比べて突出して刺激的だ。ディナーなどではこのようなチョイスもあり得るが、モーニングでは不要な主張と言えよう。

鮭の切り身。スライスされたレモンがそそる。

食べやすくカットされた鮭が、レモンを添えられて並べられている。コイツは好感触だ。しかし、鮭切り身イコールで白米もセットとなるので一度スルーしてみる。

温野菜。まだ作りたてらしく湯気が出ていた。

お次はヘルシー感押し売り気味の温野菜だ。なぜか焼売がセットで置かれている。たぶん同じせいろでついでに蒸したのだろう。調理時間が著しく違うものを同時に蒸した可能性があり、例え違ったとしてもそう連想させる盛り付けはマイナスポイントだ。

ペンネも置いてあった。しかし、この皿は何か不自然であることに気がつく。アルファベットの「D」のようだ。その横の皿たちも気になる。何かの暗号なのだろうか。しばし立ち止まって考案する。ディー・アイ・アイだろうか。それともDⅡだろうか。ペンネ・トラウト・チキン。この並びには意味合いがあるのかもしれない。「どれが・インスタントか・言ってみろ」そういう事だろう。まったく朝から挑発的なホテルだ。もちろん答えはEverythingとなる。私は騙されない。

漬物たちも豊富だ。白米だけでも満足できそうなラインナップと言えよう。

サラダコーナーも立派だ。種類こそ限られるが、ホテルの朝食にサラダバーがある時点で、星1つ追加と言えよう。ミシュランとはいかないまでも、ティムソン位の星は追加可能だ。

このウインナーたちを眺める。いったい何の液体に浸かっているのだろうか。多分頭の回転がプラネタリウムぐらいゆっくりな方々は、ウインナーが乾燥しないように、とか冷めないようにとか言い出すのだろう。そう思ってしまったあなたは、あなた自身が冷めたり乾燥しないように一生半身浴しておくことをお勧めする。通常であれば、液体につけ続けるという事はうまみがずっと流出を続けるし、ふやけてしまうであろう。何かがあるのだこの褐色の液体には。油が浮いていて、そして不思議においしそうに見える。秘密を解くため、一つ頂く。たいていの場合コレ系は美味しくないのだが。

ウインナーをチョイスしたところで一度おさらいだ。ファーストセッションはこの組み合わせだ。トーストは朝食専用に規格外に小さいものだった。そして、トースターにはこの位置で焼いてくださいと言わんばかりに赤いマーカーが引かれていた。その意図を試すべくチョイス。カレーも一応チョイスしたのだが、ごはん30g/ルー50g程度だ。ちなみにコンビニのおにぎりが約120gだ。あくまでカレーを食べるのではなく、試すのだ。ハッシュポテトは残念ながら令和の時代においてファーストフードのモーニングが味もコスパも極めてしまった。絶滅危惧種なのだ。あえて応援の意味も込めてチョイスした。形状が「D」なのも気になる。さっきの皿のメッセージに続きがあるのかもしれない。コーンスープは大さじ2だ。そして温泉卵も追加した。味はいかに?

カレーはサラサラのルーでさっぱりとした味わいだが、スープカレーに近い味がする。どこか遠くでスパイスが主張するような、露骨ではない感じだ。朝食に向けて調整されているのかもしれないが、それは簡単なことではない。

問題のウインナー。過度にパリッと感を演出することもなく、肉の持つ味も抜けていない。不思議なものだ。謎汁に浸かっていたにもかかわらず節度を保っている。ポトフなどに入っているだらしないウインナーとは一線を画している。同じような状態なのに、あの液体の秘密は何なのだろうか。コンソメスープのように見えるが、特にそんな味はしない。ちなみに出汁に使う昆布などはたいていの場合捨てられてしまう。しじみの味噌汁なども地域によっては「下品だ」と言われて捨てられてしまう。ハンバーガーをむさぼる鼻の穴の方がよほど下品だと思うのだが、その地域ではバーガーショップは存在しないのだろう。

トーストは焼き過ぎてラスクのようだ。私がトースターを使ったとき、トースターは冷めていた。前使用者がいた場合あの赤い目印に従っていたら完全に黒焦げだろう。これはテストだったのだ。安直に鵜吞みにせず、きちんと物事を見極めれるかどうか。トースターにはワット数が書いてあり、食パンは規格外に小さい。そして、そこにはこれ見よがしな赤い目印。いくつものサインがあったにもかかわらず、私はミスを犯した。この不味いラスクは、そのお仕置に違いない。それにしても挑戦的なホテルだ。

アンチテーゼ

朝食を楽しんでいると、向こうの方から顔を腫らした一人の男が近づいてきた。むくみ切った顔には、最悪の食生活を垣間見ることができた。
「ブヒ~、胃がいてぇ・・。」
あの男だ。彼は昨日散々飲んだ挙句に、締めにラーメンを食べに夜の街に消えていった。中々味の良い気の利いた飲み屋だったにもかかわらずラーメンを食べに行くその行為。締めという概念を蹂躙している。そもそもラーメンという食品は、締めという作業にもっとも向いていないのだ。強く押し売りしてくる味付け。回り近所に嫌がらせをするようなニオイ・・。特に彼が好むタイプのラーメンは、ドブ系ラーメンというやつだ。●んだ豚の骨をどこからか拾い集めてきて、その骨髄を寸胴で煮込んでいるような料理?だ。そこにさらに味の強い醤油をダバダバそそいで、さらに大量の油や豚の背中の皮下脂肪を加えて、さらにダメ押しでカツオとかを理科の実験のように加えて何時間も煮込むのだ(彼らの文化では、煮込み時間が長いほど偉いという世界観らしい。ヤンキーのボンタンの太さが太いほど偉いのと同じだ)。その魔女の闇鍋のような物体を料理と呼ぶにはあまりにも厚かましい。まるで子供の粘土遊び状態だがそれを見て彼らは味に優劣をつけたがる。その塩分でむくみ切った顔で「食欲無いわ~」と言っている。彼の胃袋に生まれたら、毎日が試練なのかもしれない。

彼の皿にはサラダやパン、ウインナーなどが無造作に乗っていた。こんなに豊かな食卓をこんなに無頓着に闊歩できるのは一つの才能かもしれない。

気を取り直してスクランブルエッグを試してみる。特に何の変哲もない。この無個性さが真髄なのだろうか?なぜぐちゃぐちゃに混ぜた生焼けの卵が必ず並んでいるのか長年謎だったが、今日もその謎は解けそうにない。外国の人は生卵を食べるさまを見て驚くそうだが、この人気者が欧米人の食卓を飾る理由ももほとほと謎である。

句点

バイキングには温泉卵が置かれていた。私はそれをよく観察してみるのだが、謎が解けそうになかった。果たしてこの温泉卵は、ダシに浸かっているのだろうか。それとも、ただ容器に温泉卵が入っているだけなのだろうか。おいてあった周辺には、ダシのようなものは見当たらないが、醤油がひとつセットしてあるだけだった。

横から見てもわからない。容器が黒いせいだ。

何もついていないのなら醤油をかけるのだが、ダシが付いているならそのまま楽しみたい。難しい問いだ。

混ぜてみたがいまいち釈然としない。醤油を一垂らしして食べてみる。異常にうまい、なんということだ。

とてもおいしいが、ダシはかかっていなかった。この場合白い方の容器が正解だった。同じ生焼け卵料理でもこれほど味わいに差が出るとは・・。まるでピンクの宝石と黄色いペンキカスみたいな違いだった。

締めに漬物を頂いた。とてもおいしく、かつさっぱりとした味わいだった。思いのほか肉厚の大根は、歯ごたえが心地よい。締めというのは、こういうものだと実感する。口の中を整えてくれる上に、その前に食べた料理の記憶(この場合脳ではなく舌に残る記憶を指す)を、上書きしないのだ。結果、食事をした時の綺麗な思い出だけを残してくれる。まさに素晴らしい小説の、最後の句点のように。万が一最後の句点がドクロマークだった場合、そこまでのどんな素晴らしい物語も台無しになってしまうだろう。

あとがき

ホテルの朝食というのは、前述したとおりホテル側の実力や心構えを知るうえでとても大きな指針となることは間違いないだろう。その点このホテルの朝食はとても満足度の高いものだった。朝食という舞台で踊る色とりどりの食材たちに魅了され、私の朝はいつの間にかとても素晴らしいものになっていた。用意された食堂はまるでコンサートホールのように眼前に広がり、そこでは希望に満ち清潔な音楽が鳴り響いていた。私は五感を使い、その世界を冒険した。そんな朝を用意してくれた素晴らしきレストランー。そこは確かに彩りに満ちていたのだった。

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