肉神再臨(にくがみさいりん)
村の広場には、希望が満ちていた。
気につるされた村長は、かつての厳しい顔を脱ぎ捨て、穏やかな笑みを浮かべていた。
「これからは、わしもみんなのために尽くす。……そのつもりじゃ」
「じゃあ村長、再建のシンボルになってもらわなな!」
「なんや、案外似合ってるで?」
村人たちは冗談まじりに笑い合いながら、かつての距離を埋めていった。
マキはその様子を見て、ぽつりと呟いた。
「……村長も、被害者やったんかもしれんな」
伊吹の目が潤む。
「すまん……本当に、すまんかった……」
その時、ある村人が声を上げた。
「そろそろ、村長下ろしたってええんちゃうか?」
その瞬間——
「ヴヒィイイイ!」
巨大なイノシシの背に乗って、ナナハン君が現れた。
斧を担ぎ、全身から湯気を立てながら登場したその姿に、村人たちは唖然とした。
伊吹は、その姿を見て言った。
「……ジョン……」
ナナハン君が斧を肩から降ろす。
「そいつ下ろすんなら、俺に任せな!」
次の瞬間、斧が宙を舞った。
ヴンヴンヴンヴン!
轟音を立てて回転し——
伊吹を縛っていた縄だけを、見事に断ち切った。しかし、下は高さ100メートルはあろうかという深夜のダム湖だった。
歓声が上がる前に、伊吹の体は重力に引かれ、暗く冷たいダム湖へと吸い込まれていった。
ひいいいいいいい!
伊吹の断末魔は結構長いこと響いた。
どぼぉん。
誰も、何も言えなかった。
その水面は、ただ静かに波紋を広げていた。
そして村人たちは、再び、黙ってその湖を見つめていた——。
幽肉回帰(ゆうにくかいき)
静まり返った湖面に、ひとしきり波紋が広がったあと。
「……う、うぅ……」
薄暗い倉庫のような小屋の中、敷き藁の上で一つの影がもぞもぞと動いた。
それは、ヤヴイヌだった。
ボロ布のような体を震わせながら、ぼんやりとした目を開け、起き上がると、腹をさすってひと言。
「腹減った……」
ガラッ!と戸を開けて入ってきた冴子は、その姿を見て凍りついた。
「……あ、あんた……死んだんちゃうん?」
「冬眠しとっただけやで。腹減ると眠るんだよ」
「……あんた……脈なかったやん!」
「そもそも……脈の取り方、知ってんのか?アンタ」
冴子はぎくりとした。
「う……それは……まあ、たぶん、こっち側で……」
「プッ、冴子、アンタええ加減すぎやろ~」
ヤヴイヌは腹を抱えて笑い、ぽんぽんと尻を叩いた。その尻には、うっすら血が滲んでいる。
「……それ、どうしたん?」
「知らん。たぶん、なんかされた」
場が凍った。
ヤヴイヌはケロリとして続ける。
「とにかく、毎晩村長の家行って、飯もらってた。うまいとは言えなかったけどな……」
「あんた……生霊みたいに出てきて、村長の冷蔵庫あさって……」
「せや! 最後の晩なんか、『おかわり!』言うたら、シャーッって言われたんや!」
冴子は額を押さえた。
「……あんた、化けて出てたんやな……」
その時だった。
ヤヴイヌは急に顔を上げ、真顔で言った。
「……あのな、全部、言うわ」
皆が静かになった。
「そもそもな、この飢饉……“ジョン”のせいじゃないか?」
「えっ……」
「ジョンって、村に肉ばらまいたけど、その分乱獲しただろ?それで、動物絶えたんだ」
「でもジョンは神やで……」
「ちがう。私知ってる。ジョンはな、アメリカにいるるナナハンの友達の親父だ。“AX JHON”だ」
ナナハン君が遠くで焼き肉を食べながらむせた。
「ブフォッ!? 何言ってんだよヤヴイヌ」
「偶然かどうか知らないけどな、あの斧、アメリカ製だったぜ。“Made in Texas”って書いてあったわ」
「ほんまかいな……」
「つまり、ジョンが食いまくって、肉の神になったってのは、ただの伝説だ。現実は、村が滅びた原因だったかもしれへん……」
誰もが口をつぐんだ。
冴子が呟いた。
「ナナハン君……あんた、殺人者になってへんよな……?」
ナナハン君は肉を飲み込んで言った。
「何言ってんの、俺はただ斧投げただけだって!」
ヤヴイヌは、ふいに体をよじった。
「……うーん……でもなんか、尻が痛いわ」
冴子、マキ、修一郎は、互いに顔を見合わせ、慌てて笑い飛ばした。
「ははっ、気のせいやって!」
「そやそや、なんでもない!」
「とにかく……めでたし、めでたし、や!」
湖のほとりに、赤く染まる夕陽。
笑い声が響く中で、誰もがそれぞれの“真実”に、そっと蓋をした。
そして、村は再び——
“食”を巡る、新たな日々を歩み始めたのだった。
(アニマルスパイヤヴイヌ 極食ノ村 完)
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