極食ノ村8【アニマルスパイヤヴイヌ】

夜宴密会(やえんみっかい)

ヤヴイヌの死は、彼らにとって衝撃だった。

翌朝になっても誰も口を開かなかった。囲炉裏の周りには空っぽの器だけが残され、女将は無言で湯を沸かしていた。

ふと家の裏手から、ひそひそ声が聞こえてきた。

話していたのは、まだ若い夫婦だった。二十代前半、男はやせ細った体にくたびれた布のような服を羽織り、頬はこけていた。

その男は、村で暮らす若者・誠司(せいじ)だった。

妻の絵理が最近、母乳が出なくなったという。食事は極食しか与えられず、日に日に顔色が悪くなっているのだと。

「このままじゃ……うちの子が……」

冴子は、聞いてしまった以上放っておくことも出来まい・・。と思った。

裏手に回ると、二人に話しかけた。

「夜中に、嫁さん連れて村はずれの廃墟まで来なさい」

「急に何ですか・・?」

二人は驚いて不安そうな表情で冴子の方を見ている。

「悪いが話は聞こえてしもた。悪いようにしないからあなたたちは言う通りにしなさい」

「えっ……村長にバレたら……」

「大丈夫や。誰にも言わんことや」

誠司と妻は戸惑いながらも、深く頭を下げて去っていった。

***

その夜、冴子・マキ・修一郎・ナナハン君、ヤヴイヌだったものの5人は、廃墟となった古い蔵にいた。山で仕留めた鹿の腿肉が焚き火でゆっくりと焼かれ、香ばしい匂いが周囲を包んでいる。

仕込みは完璧だった。

鹿肉は塩麹に一晩漬け込まれ、木炭の強火で外はパリッと、中はしっとりジューシーに焼き上がる。

仕上げに山椒と柚子の皮をあしらい、冴子特製の甘酒味噌を添えた。香りだけでよだれがこぼれそうな逸品だ。

「来るやろか……」

マキが不安げに呟いたその時、蔵の戸が軋む音とともに、誠司と、その妻・絵理が姿を現した。彼女の顔色は悪く、痩せ細って目も虚ろだった。

「……おいで。座りなさい」

冴子が手を差し伸べる。

絵理が口に運んだ一切れのジビエは、じゅわりと舌の上で広がった。

脂の香りが鼻腔を抜け、歯ごたえはまるで和牛のように繊細。

それまで忘れていた“味”という感覚が、絵理の脳を直撃した。

「……こんなに……おいしい……もの……」

絵理の目に、涙が浮かんだ。

誠司もまた、肉を噛み締めた瞬間、思わずうなる。

「これが……ほんまの……極食……」

冴子は頷く。

「そうや。ほんまの料理は、人を笑顔にするもんや」

「明日、誰か一人。信頼できる村人を連れてきて。そしたら、またごちそうしたる」

誠司は震えるように頷いた。

そのやりとりを少し離れた岩に座って聞いていたナナハン君が、唐突に言った。

「……ヤヴイヌ、もう食えへんのかな」

「……は?」

マキが眉をひそめる。

「だって、あいつもう動かんし、燻せばクセも抜けるやろ。シチューとか、タタキとか」

「最低やなあんた……! あいつ、私らの仲間やろ!」

「だからやないか。仲間やから、無駄にしたらあかんやろ」

「ちょっと待ってや、それとこれとは——」

「いやいや、ワシも気になるで。あの脂肪、たぶんエエ出汁でる」

「修一郎!?」

「いや、あくまで仮定の話や!倫理的にNGやって!」

「なんやこの議論!アホちゃうか!」

「“究極の味”を探してるんやろ?ならヤヴイヌは——」

「やめぇぇぇぇぇえええ!!」

マキの一喝でようやく静まり返った蔵。

冴子は黙って火を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。

「……食べもんは、命や。そやから、命は選ばなあかん」

ナナハン君はしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり、火に薪をくべた。

「……食っちまえばいいのに。ああなったら所詮肉だぜ?」

蔵の空気が、再び静まった。

その夜、誠司は絵理の手を握りながら、心の中で誓っていた。

——明日、必ず、誰かに伝える。ほんまの味を、ほんまの食を——。

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