極食ノ村3【アニマルスパイヤブイヌ】

極食

「今夜はここに泊まっていきなされ」 老婆がしずかに言う。

「えっ……泊まるんですか?」マキが目を丸くする。

「当然や。せやないと、極食の旨味はよう味わえんさかい」

「ちょ、ちょっと待ってくださいな……あの、帰り道は……」

「ふふふ。戻れまへんよ。いったん門をくぐったら、誰も戻れたことはあらしまへん」 老婆の声は柔らかく、しかしその言葉は重く響いた。

「……どういうことや」 ヤヴイヌが口を挟むも、老婆は何も答えず、囲炉裏の奥に消えていった。

「逃げられへんって……ほんまなん?」 マキが青ざめる中、女将だけは神妙な面持ちで座布団に腰を下ろした。

「食おうや。ここで逃げても、何も変わらへん」

「けど……」

「ええから。ワシは極食が見たい。味わいたいんや」

その言葉に押されるように、全員が卓に着いた。

やがて、老婆が無言で盆を持って戻ってくる。 その上には、小皿が五つ。どれも慎ましやかで、まるで精進料理のようだった。

「まずは、山菜のおひたしや」

小さな葉と茎が並んだ皿が一人ずつに置かれる。

ブヒ男の眉がピクリと反応する。

ヤヴイヌはすかさず、「こういう時にアホゥみたいに肉肉いうヴァカ世間にいるよなw」と巻き舌で言った。

全員が静かにうなずく。

「ああ、確かに。マナーが成っていない奴は俺も嫌いだぜ。」ナナハン君が言った。

——そして、第二品。

「干し椎茸の煮物。出汁で炊いたやつや」

ナナハン君の姿勢が乱れる。

ヤヴイヌは、「こういう時に一口も食べずにヴヒヴヒ言い出す間抜けっているよなw」と言った。

全員が静かにうなずく。

ナナハン君は静かにブヒッ!と鼻を鳴らしただけだった。

さらに第三品。

「蕗(ふき)の白和え。あっさり仕上げてますえ」

……どの料理にも、肉の気配はなかった。

「……なんじゃこりゃ、量が……」

皿に目を落としたナナハン君が、声を震わせた。大分言いたい事が溜まっていらっしゃるご様子だった。

ナナハン:「これが……“極食”? ウソだろ? 俺、門で“量”って答えて通してもらったんだぜ……これが、量かよ……」

ヤヴイヌ:「……味も……正直、普通だな。あっさりしすぎてて、印象に残らん」

修一郎:「いやいや、これやと“特別感”がないな。おもてなしとしてはちょっと……」

マキ:「身体にはええ味なんやけどな……うーん……」

女将:「……」

老婆が微笑む。 「極食は、食材にあらず。食べ手しだいや」

「なにがやねん! 食べ手しだいって、こっちは量がほしいんじゃ!」 ナナハン君がとうとう声を荒らげた。

老婆はゆっくりと振り返った。

「そのうちわかる……これが、極食や」

そう呟くと、老婆は闇の向こうへと消えていった。

翌朝——。

部屋の隙間から漏れる朝日とともに、五人は重いまぶたをこじ開けるように目を覚ました。

「……お腹減った」 ナナハン君が布団の上で寝返りを打ちつつ呟いた。

「ほんまに……昨晩の量で足りるわけあらへん」 女将も同意するように額を押さえた。

再び囲炉裏の間に集まった五人の前には、昨日と同じちゃぶ台。そして、そこに運ばれてきたのは、またしても量の少ない朝食だった。

「今朝は、漬け物と雑炊、そして……茹でただけの芋か」 ヤヴイヌが箸を持つ手を止めてつぶやいた。

「……いや、いやいやいやいや」 ナナハン君が頭を抱える。

「これは夢や。夢であってくれ。俺は“量”って言ったぞ……“量”って正解したんだぞぉ!」

「うーん……ほんまに何かがズレてるな」 マキが箸を止めてつぶやく。

「味もさ……昨日よりさらに薄いで」 修一郎もしかめ面で雑炊を見つめた。

「そもそもこれ、出汁と米のバランスおかしいわ。雑炊ってより米湯やん」

「せやけど……食べてまうねんな」 女将が一口、ゆっくりと口に運ぶ。

誰もが納得はしていないが、腹を満たす以外の選択肢もなかった。

——そのとき、ふとナナハン君が立ち上がる。

「もう限界だ。食いもんは出さねぇ、道も戻れねえ。なら……ちょっと外の様子、見に行くか」

「お、ええな」 修一郎が手を上げる。

「私も……空気吸いたいわ」 マキが立ち上がると、女将とヤヴイヌも無言で頷いた。

口切ノ宿を出た五人は、村の中を歩き出した。

そこに広がっていたのは、どこまでも静かな、だがどこか異様な集落だった。

茅葺き屋根の家々。土の地面。井戸のそばに並ぶ壊れた桶。

だが、もっとも異様だったのは、そこにいた“人々”だった。

「……痩せてる……」 マキが思わず呟いた。

畑で鍬を振るう老人。洗濯物を干す女。子供らしき者たちが井戸のまわりで手を合わせている。

誰もが、紙のように白く、骨が浮き出るほどに痩せ細っていた。

「……こいつら、ほんとに生きてんのか?」 ナナハン君が立ち止まる。

「なに食うて、生きとるんやろか」 ヤヴイヌが呟く。

すると、どこからか、乾いた笑い声が響いた。

「ふふ……“極食”さえ、与えられれば……生きてゆけます」

誰の声か、分からなかった。

けれどその瞬間、村の空気がまた、ひとつ、層を変えたような気がした。

村の貌(むらのかたち)

朝食の雑炊で心も体も満たされぬまま、五人は口切ノ宿を出て村の中を歩き始めた。

湿気を含んだ風がゆっくりと肌を撫で、茅葺きの屋根と土壁の家々が静かに並ぶ。道端には掘りかけの畑や、干からびた井戸。どこか歪んだ風景だった。

「……人気がないな」 ヤヴイヌが言ったその時、不意にどこからか草を刈る音が聞こえてきた。

音の方を向くと、畑の奥に、一本の鍬を振るう老人が見えた。背中が異様に曲がり、顔は帽子の影に隠れて見えない。

「お、おじいさん……」 マキが声をかけると、老人はゆっくりと顔を上げた。

その顔は、骨と皮だけになったような痩せこけた頬、乾いた唇、虚ろな目。

「……あんたら、極食を……食うたんか」

その問いに五人は一瞬黙り込んだ。

「一応……食べたっちゃ食べましたけど……」 ヤヴイヌが応じる。

老人は鍬を突き立てたまま、かすかに笑った。

「なら、もう……ここから出られへんやろなぁ……」

「は?」 ナナハン君が間抜けな声を漏らす。

「食うたら……出られへんのや。せやけど、食わんかったら……飢えるだけや」

「そんなん……」 マキが思わず後ずさる。

「ええんや。どうせ、だれも“本当の味”を思い出されへんのや。忘れてしまうんや……」

そのとき、別の方向から乾いた拍手の音が聞こえた。

「おお、珍しい。村外れまでよう来なさった」

歩いてくるのは、真っ黒な法被をまとった、細身の中年男だった。背は高く、目は釘のように鋭く光っていた。

「私はこの村の長を務めております、伊吹(いぶき)と申します」

礼儀正しい口調とは裏腹に、声の底には不気味な余韻があった。

「えらいこっちゃなぁ、口切ノ宿に案内されたちゅうことは……あんたら、もう“迎えの晩”を待つだけや」

「迎えの晩?」

「極食の“本膳”は、あんなもんとちゃう。あれは口切り。ほんまに旨いもんは、そろそろ出てくる頃や」

そう言って、伊吹はにやりと笑った。

「ま、腹が減ってるうちに、何かしら仕込んどかなあかんさかい。ワシが案内したる。村の裏手に、ひとつ“整えの場”があるんや」

五人は、言葉の意味を測りかねながらも、伊吹の背に付いて歩き出した。

その先には、異様な施設が待ち受けていた。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次