極食の記憶(ごくしょくのきおく)
村長・伊吹は、静かに語り始めた。
「……昔、この村はな、自然豊かで……山の幸、川の幸、畑で穫れる作物、どれもこれもが美味しくて……毎日が、まるで宴のようじゃった」
夕焼けの光が、村人たちの顔を赤く染める。その中で、村長の言葉だけが凛と響いていた。
「先祖代々、畑を耕し、田んぼを守り……家族で食卓を囲み、笑っておった……。それが、国の公共事業とやらで、全部……全部、水に沈んでしもうたんじゃ」
静かなざわめきが、村人たちの中に生まれる。
「国は言った。『公共の福祉のため』やと……。けど、わしらにとっては、あれが命やった。誇りやったんじゃ……」
村長の声は、怒りとも悔しさともつかぬ色を帯びていた。
「それでも、わしらは諦めんかった。山の斜面に畑を作り直し、水を引き直し……少しずつ、また村を再建しとった。ほんの少しじゃが、活気も戻り始めとったんや……」
その時、村長の表情が曇った。
「……が、ある時から、ぱたりと肉が獲れんようになった。鳥も、獣も、魚も、すべて姿を消したんや。飢饉は二年続いた……。多くの命が失われた……」
重苦しい沈黙が場を支配する。
「そんな中、ある村人が、山奥で“ジョン”という名の男に出会った。狩りの達人じゃったそうな……。どこから持ってきたのか分からんが、ジョンは村に肉を差し入れてくれたんじゃ」
「けど……ジョンは大食いでな。一人で村の数倍の肉を喰う奴じゃった。そん中で、奴が言ったんじゃ——『お前ら、食わんようにすれば、何食ってもうまく感じるんじゃね?』と……」
冴子が息を呑んだ。
「それが、“小食の極食”の始まりじゃった。飢えさせることで旨さを引き出す。村の誰もが、それしかないと信じ込んでいった。……気づけば、ジョンは消え、村では神として崇められるようになった。残された斧は、いつかジョンが戻ってくる時のために祀られた」
村長は、ぽつりと呟いた。
「わしは……それを信じ続けとった。ただ生き残るために……」
その時だった。
「でも、今からまた村を再建すればいいじゃん!」
マキの声が、夕空に響いた。
「こんなにお肉もとれるし、みんな集まって、また畑作って、笑いながらご飯食べればええやん!」
マキは前に進み出て、村人たち一人ひとりの顔を見た。
「ねえ、みんな……忘れてへんやろ? 楽しかったご飯の時間。お母さんの味、おばあちゃんの漬物、兄ちゃんと取り合った焼き魚……そういうの、取り戻したいやんか……」
その声に、村人たちの表情が変わっていく。
「……そうや、村長も、昔は優しかった……」
「わし、子どもの頃、村長に山菜の見分け方、教えてもろたんや」
「飢えてたとき、一緒に山で木の実探してくれたこと……忘れてへんで……」
「この村が……この村長さんが、間違えたままで終わるなんて、イヤや」
それは、乾いた土に落ちた一滴の雨のように、じわじわと村人たちの心に染みわたった。
誰からともなく、微笑みが浮かび——やがてその輪は、全員に広がっていった。
冴子、ナナハン君、修一郎、マキ。
四人はその光景を見て、肩を震わせながら泣いた。
マキは、泣きながら呟いた。
「なんや、うち……この村のこと、もっと知りたなってきたわ……」
涙の味は、あの日の極食よりも、ずっと、あたたかかった。
コメント