夜の繁華街
どこか雨の気配のする夜の五反田は、金曜日ということもあり賑わいを見せていた。街のあちこちから人々の笑い声が聞こえてきて、この街を活気づけていた。そんな都会の街角に溶け込むようにヤヴイヌは歩を早めた。ここでは全ての時間の流れ方が少しづつヤヴイヌの故郷とは違っていた。唯一同じなのは、雨が近づいてくる匂いだけだった。ヤヴイヌはひどく腹を空かしていた。歩道橋に登り、目を細めた。そして、キラキラと輝くコンクリートの楼閣を背に、足早に去っていった。
五反田攻略
立ち止まると、目の前には焼き鳥屋があった。さっきからいい匂いを出していたのはこの店だったのだ。辺りには焼き鳥の香りが漂い、思わず引き込まれそうになった。落ち着け、早すぎだろう?久々に一人での食事なのだ。きちんと吟味してから選ぶこととしよう。今日はカツカレーが大好物な塗装工もいなければ、ブヒブヒ鳴く肉好きなレスラーもいないのだ。心ゆくまで選ぶとしようじゃないか。ただし、焼鳥の口にはなってしまった。危うし!ヤブイヌ!
しばらく歩くと、中華テイストの店が現れた。これは期待ができそうだ。
日本では中華料理と台湾料理がセットになっている場合が多い。この店もその1つだが、いささか気になる点が散見される。例えば、B級グルメ(ヴィーグル)の表記だ。ヴィーグルを名乗るのは、軽率な町おこしに踊らされた観光客目当ての地方の飲食店などに多い。しかしここは五反田だ。ということは、よくわからん創作料理などにヴィーグルの表記を使ってあたかも「え?お客さんご存知ない?まだまだですねぇ〜」的なスタンスの展開も予想される。諸君、覚えておくといい。魔法の言葉なのだよ、ヴィーグルは。
とは言え、ラム系が豊富でかつは食べたことのないラインナップが並ぶ。ラム肉と2種ピーマン炒めは気になるところ。いったん保留にすることとしよう。
しばらく歩くと、飲食店が並ぶ雰囲気のエリアに出た。裏通りなのでチェーン店はあまり無く、期待が持てそうだ。
大変気になる店。焼鳥は分かるが、つぶしたてとはなんだろう。私がウカウカしている間に、世間では焼き鳥はいつの間にかつぶして食べるものになったのだろうか。しかも、つぶしたてとは潰す鮮度にも拘っている。潰してから時間が経つと、風味が落ちてしまうのだろう。焼き鳥とは客の目の前で潰すものなのだろう。(お客さん、ウチはね、つぶしたてにこだわってるんでさあ!この焼き鳥はね、今朝私がつぶしたんですわ!)みたいな世界線かもしれない。もしくは潰すとは実はどこかの方言で、例えば京都では潰すとは隠語で焼くとかそんな意味があったりして、(この前逮捕されはったあそこの息子さん、夜中になると気に入らない同級生の家を片っ端からつぶしてはったらしいんですわ、怖いどすえ)みたいな感じなのだろうか。でも、そうすると、ただの焼きたての焼き鳥を自慢していることになってしまう。そもそも焼き鳥なんて、全部焼きたてだろう。ワナだ。
オーソドックスな佇まい。24時間営業なので、チェーン店なのだろうか。チェーン店自体が悪い訳では無いが、最近のチェーン店はレベルが高すぎていささか興ざめしてしまう。保証された味、そこに意外性は存在しない。空腹を満たすには丁度いいが、意外性や感動により心を満たしたい夜もあるのだ。
高架下に理想の店構え。串焼き、煮込とある。カーテンの中をのぞくと、人々が肩を寄せて談笑している。
よし、ここにしよう。シチュエーションも雰囲気も完璧!なにせ、今日は焼き鳥の気分なのだ。高架下で煮込みか、悪くない。ところが、中に入ると断られてしまった。どうやら閉店間際だったらしい。すべてにおいて完璧だった為に、とても残念だ。さらに、口が煮込みになってしまった。ヤヴイヌ、ピンチ!敷居が上がりまくった状態で、見知らぬ街を徘徊する。そのシチュエーションを君も想像してごらん?
新天地を求めて駅の反対側に。おお、栄えている。コレはチェーン店に街を喰い荒らされたあとかもしれない。歩き回った末に空振りダメージも蓄積し、残りのHPはわずかとなってきている。果たしてヤヴイヌはチェーン店に屈してしまうのか!
ラーメン界の雄、一風堂。いや、そんなにデカデカ書かなくても美味いのは分かっているのだよ。ヤヴイヌは踊るように脇をすり抜ける。
こんなところにまで家系が。ワナが続く。あの男がいたらこのあたりで殺られていただろう。(もう良くないっすかここで)みたいな、忙しいビジネスマン風の雰囲気を出しながらラーメン屋に押し込まれて、ブヒブヒ好物を啜る横顔を見る羽目になったかもしれない。そもそも、選定には時間がかかるものなのだ。気がつけば既に40分くらい見知らぬ街をさまよっていた。
突然、心をくすぐるような看板が夜の街に煌々と輝いていた。普通に汚い字は、手作りの味を表現したかったのだろうが、字が下手すぎて逆に不安に。しかし、この店には何か引っかかるものがあった。例えば、カレー屋といえば昭和の団地に押しかける押し売りばりにカレーの匂いを解き放つものだ。悪質な店になると、通りに向けて換気扇が設置された店舗まである。しかしこの店は、前に立ってもカレーの匂いが一切しない。一度食べればわかる、そう言われた気がした。
さらに、「煮込み」の文字が目に入る。今夜はここに入るべきだろう、例え看板の字が汚かろうとも。
メニューはこうだ。まず目を引くのは「8時間煮込み牛すじ煮込みカレー」。2日と8時間煮込んであるという表記だ。56時間とかの表記ではないところが謎だが、8時間煮込との表記も併記されている。どっちなのだろうか。また、素人考えだとそんなに煮込んだら肉が消滅しそうな気もするが、どうなのだろう。チーズ牛すじ煮込みカレーは、チーズの味になりそうだから却下。トンカツも捨てがたいが、純粋にカレーの味を楽しみたいので却下だ。
賢い読者の諸君はそろそろおわかりだろうか。正解は、野菜牛すじ煮込みカレーだ。すべての食材がバランスよく並べられている。ここにあの男がいたならば、とんかつや肉2倍みたいなのを頼むのだろう。彼ら(あえて彼らとさせていただく。岡村さんも含む)には、バランス感覚というものがない。大盛があったら必ず大盛。食事をティスティングすることなくただ胃袋に流し込み、便として排出していく。そんな巨大ミミズたちにはバランスなど関係ないのだ。ボリュームを追求し、満腹感を「美味しかった」と表現する。作り手の思いや意図を決してくみ取ろうとはしない。そもそもそういったものは探さないと見えない場合が多いので仕方がないのだが。
店員さんがオーダーを取りに来て、辛さを聞いてくる。答えはもちろんスタンダードだ。この店の基準となる辛さを知ることで、再来時の指標を作る。いうまでもあるまい。

初めにサラダが提供された。割とボリュームがあり、ドレッシングもしっかりとかけてある。まずはこれを食べつくさないといけない。空腹のままカレーのひとくち目を食べると、正確な判断ができず「美味しいかも」とかなってしまうのだ。しかしまんまとしゃきしゃきのレタスが「美味しいかも」となってしまった。

次にライスのみが届いた。ユニークだ。カレーを汚す前に事前調査で福神漬けとらっきょうを味わってみる。福神漬けは一般的なものだが、らっきょうは割と酢が効いていて、カレーとの相性も期待大。

久々に紙ナプキンでくるまれたカトラリーを見た。胸が弾む。洋食屋で金のスプーンが紙にくるまれて出てくる、そんな日曜日の昼下がりにコンソメスープをたたえたスプーンにステンドグラスの光が降り注ぐ。ひと時の贅沢だ。視覚から入る情報も味の一種であり、すてきな調味料なのだ。なぜかブヒブヒ牛丼をすするあの男の顔が浮かぶ。割り箸を握りしめるその姿はとても下品だ。

主役の登場。ぐつぐつと湧いていて、あたりにカレーのにおいを振りまいている。ルーに沈んでいない野菜たちは幸せだ。なぜならルーの味付け加減は食べる人間に任されているので、より好みの食べ方で食べることが出来るからだ。家庭のカレーが一番とかいう説を唱えるうぬぼれ屋さんが散見されるが、かわいそうに美味しいカレーを知らないのだろう。じゃがいもと肉とニンジンを突っ込んだ市販ルーの煮物が最高とは恐れ入る。ルーをミックスしたり、ちょいと玉ねぎをしつこく焦がしたり、ヨーグルトを入れたり‥。まるで実験のようだ。

ご覧くだされこの節度を!一口いただく。スパイスの味がびりりと舌をくすぐる。比較的スパイシーな味付けだ。さあ、後味を教えてくれ。これだけ香辛料を効かせたんだ。このまま辛いだけということはあるまい。春一番のような強い風の後に、カレーの苦みが舌に残る。いいぞ、その調子だ。じゃがいもは甘みがあり、コントラストをよりくっきりとさせる。なるほど、なるほど。説得力がある。強めのスパイス、野菜の甘味。ふらっと入ったこの店で、こんな曲を聞かせてくれるとは。

異常に煮込まれている設定の牛すじ煮込み。やわらかく、食べやすい。二日以上煮込んで主張したかった食感はこれだったのかい。ほほが緩む。特段特別感はないが、美味しいことに間違いはない。私のアンテナがまだ低いということなのだろう。これだからカレーは奥が深いのだ。最も時間をかけた部分のメリットは、きっとこのカレーの細部に宿っているはずなのだが、見つけることは難しい。だが必要なのだ、二日と膨大なガス代をかけてでも。これこそ芸術なのだろう。
・・・ふと隣にやってきた若者はひたすらスマホゲームに夢中だ。なぜかスピーカーで大音量を鳴らしながらカレーを食べている。何を口にしているのかわかるのだろうか。いかんいかん、集中しよう。

ライスとの配合を完全に決めれるのも別盛りのありがたいところ。よくルーが少ないとか言い出すブヒブヒさんも散見されるが、意味があるのだよ、意味が。

ニンジンは割と野性的な味。ニンジン臭さがまた良いアクセントになっている。きっとニンジンは二日間も煮込み風呂に入るわけではなく、別でゆでて直前に足しているのだろう。
・・・隣の若者はスプーンでザバザバとライスにカレーをかけている。気にしないようにしたいが、ゲーム音が気になってつい見てしまう。とりあえずうるさいのでピポパとなずけることにしよう。

再び牛スジ。やはり柔らかいが、別段強い個性の味はしない。むしろ名わき役のようにカレーを飾る。
・・ちなみに私の脇ではピポパが足を投げ出したまま大量に福神漬けを投じていた。どこかで見たことがある光景だ。牛丼に大量の紅ショウガ、ラーメンに味が変わるくらいのニンニク。下劣だ。

ブロッコリーもコリコリ食感。よく煮込まれて熟成したスパイシーなルーや牛スジのグループは、一体感のあるグループとなって一列に肩を組み仲良く足を出してくる。「煮られてうれしいはないちもんめ!」
長時間手間暇かけた、一体感のあるグループだ。
対する温野菜的なグループは、それぞれが持ち味を生かしてアクセントを楽しませてくれる。だんだん楽しくなってきた。そんな二つのグループが一丸となって私に語り掛けてくる。今夜は素晴らしい夜になったものだ。

・・・ピポパは結局ずっとスマホの画面を見たまま下品に食べ残し、無言でキャッシュレス決済をして出ていった。カレーの代わりに藁でも出しといても気づかなかっただろう。

静かになったので、そろそろこの宴もフィナーレとさせていただこう。ここからは終わり方が重要になってくる。この素晴らしい旅路のエピローグを、完璧な量配分で終わらせなければならない。それがカレーに対するマナーであり、むしろエチケットという表現がベターともいえるだろう。

私の最後の一口はこのように締めくくらせていただいた。ほのかに残るスパイスの風味を、白米で楽しませていただく。ただし、最後のデザート代わりに少量の福神漬けでアクセントとさせていただいた。
今回は、珍しく一人でさんさくするはこびとなったおかげで、時間をゆっくりとかけてベストチョイスをすることが出来た。この満足感は、いつぶりなのだろう。やはり時間をかけることも一つのスパイスとなっていることは間違いあるまい。フランス人は食事に時間をかけると聞く。ゆっくりと食事を楽しむ文化は人生を豊かにする。もちろんゆっくりと食べることは美徳だが、選ぶのに時間をかけるのもまた一興といえるのではないだろうか。鼻でブヒブヒ土を掘っている男は今頃味の濃いラーメンでも食べているのだろう。

外に出ると、霧のような細かい雨が夜の五反田をつややかに飾っていた。雨できらきらと輝く都会の乱反射が、眠らない街を怪しく彩っていた。ヤヴイヌは静かに目を細め、足早に闇の中へと姿を消していった。口の中には、ほのかにこの町の味が残っているのだった。
FIN
コメント
コメント一覧 (2件)
料理を【お店のジャンル】で決めつけること無く、丁寧に受け止め感じ召し上がっているのが良いですね!
有名なカレー屋さんですね!