信州関西グルメツアー【アニマルスパイヤヴイヌ】中編

*アニマルスパイヤヴイヌは、すべてフィクションです。登場する人物・団体など、一切関係ありません。

目次

折れる刃

「ブヒー、全然たりねぇわ、肉がよう」

それがナナハン君の最初の言葉だった。
靴を脱ぐのも面倒そうに畳の上に上がり、座布団に腰を下ろすやいなや、窓の外を見ながらため息をついた。

眼の前には、龍太が渾身の覚悟で用意した懐石料理が並んでいた。
前菜:馬肉と季節野菜の煮こごり
椀物:馬すじと山菜の澄まし汁
向付:馬刺し三種盛り(ヒレ、たてがみ、ふたえご)
焼物:炭火で炙った馬ロースの味噌漬け
強肴:馬のタタキと長芋の重ね蒸し
御飯:炊き立ての土鍋ごはんに、馬しぐれ煮と針しょうが
甘味:小豆と黒蜜の寒天寄せ

一皿一皿に込めた、職人としてのすべて。
素材の扱い、温度、時間、間——そのどれもが、馬という命と向き合う礼儀として組まれていた。

しかしナナハン君は、料理に目もくれず言った。

「で? これ、何合あるの?」

「は……?」

「ご飯。丼じゃないの? “馬肉丼”って聞いて来たんだけどな。あと馬肉バーガー。あれみたいな三段重ねって頼んだよね?」

龍太は、言葉を飲み込んだ。
今日の料理は、すべて「味」で語るつもりだった。
言い返す言葉など、最初から想定していなかった。

「……本日は、コースでお出ししています。馬肉の魅力を、季節とともに……」

「いやさ、そういうの、オレ、向いてないって言ったじゃん? ほら、ちまちましてんだよ。なんか一口で終わる皿ばっかりで、全然テンション上がんないのよ」

箸を取り、渋々刺身を一枚口に入れる。

「ちっっさ! てか、こんなん歯に詰まるわ!肉は盛ってある量で味が決まるのは料理界では常識でしょ?」

「……」

「なんでオレが、馬の破片をちまちま食わなきゃいけないんだよ。ドーン!てこないと。馬の解体ショーくらいやってくれよ」

そして、極めつけが来た。

「もういいわ。これ、いらねぇ。オレ、ネズミ丼屋のほうがマシだったかもな。あそこも量は少なかったけど、まだブヒれる分マシ。ここはブヒれねぇ。無理だわ」

龍太の手が震えた。

「ていうか、馬丼三段重ねって言ったじゃん? なんでやんないの? あれ、やればよかったんだよ。ご飯・馬・ご飯・馬・ご飯・馬! わかる? レスラーだぜオリャ!」

ナナハン君は、バンッと膳を軽く叩いて立ち上がった。

「なーんだよ、ここの店は。中身スカスカじゃん。味は普通、量はねぇ。金だけとって、カッコつけ料理出すだけの店か。料理の基本は量!そして肉!客の要望も理解できねぇなんざ、料理人として失格だぜぇ?せっかく俺が指導してやっても、反論ばっかりじゃぁねえか、このままじゃぁすぐつぶれちまうぜ。まあ俺には関係ないけどな。じゃあな」

そして、戸を乱暴に開けて出ていった。
襖が揺れ、空気が抜けるように静寂が訪れる。

龍太は、立ったまま動けなかった。
両手がじんじんと痺れていた。

静かに厨房に戻ると、板場に置いてあった包丁に手をかけた。
自分の名前が刻まれた、あの包丁。

「……俺は、また届かなかったのか」

ゆっくりと力を込める。
ふたりの思い、美沙と隆からもらった時間、自分の手で築いた店——そのすべてが、刃の上でぐらついていた。

磨きこまれた刃に、自分の顔が映り込む。自信に満ちていた昨日までの自分ではなく、ひどく打ちのめされた男の顔だ。

ギリギリと軋む音ののち、甲高い「バキィィン!」という音が厨房に響いた。
包丁が、真っ二つに折れた。

刃先が床に転がる音が、やけに大きく感じた。


三日後。店は休業していた。
龍太はひとりで器を磨いていた。もう、何も考えられなかった。

そこへ、あの足音が、また聞こえてきた。

「お〜い、いる〜?」

開けると、ナナハン君がいた。いつものTシャツ姿、汗をかきながらニヤニヤしている。

「いやさ、あのときはオレ、ちょっと言いすぎたなって。悪かったな」

龍太は何も言わなかった。

「お詫びってわけじゃないけど、これやるわ」

ナナハン君は、背中からゴトンと何かを下ろした。

錆びついた斧だった。

柄には「JOHN」と彫られている。ジョンが誰なのかは、誰にも分からなかった。

「一流の料理人になりたいなら、こいつを使えよ。アメリカの友達が、動物をばらしていた斧なんだよ。振り下ろせば、なんでもよく切れるぜ」

「……なんで斧?」

「いや、なんとなく。オレ、そういうの直感で動くからさ」

そう言って、ナナハン君はまた笑いながら去っていった。

龍太は斧を見下ろした。
刃は錆び、使い物にならないはずなのに、なぜか手にすると、ずしりと重かった。

そしてふと、思った。

——もう一度、一から削り直せば、使えるかもしれない。

目を閉じると、遠くで風鈴の音が鳴った。
斧からは何とも言えない、血の匂いがした。 

後編「オリャレスラーだぜ?」に続く

おまけ

~ようこそ、ナナハンレストランへ~

前菜:ハンバーガー三段重ねホットドッグ添え
椀物:ラードのお吸い物
向付:揚げ物三種盛り(唐揚げマヨ、ごろっとジャガイモポテト、うまい棒)
焼物:肉
強肴:ポテトチップス タルタルソースとともに
御飯:ナナハン丼 ホットドックを刺して
甘味:ブラックサンダー

さあ、召し上がれ

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