信州関西グルメツアー【アニマルスパイヤヴイヌ】前編

*アニマルスパイヤヴイヌはフィクションです。実在する団体・個人・人名・店名などとは一切関係ありません

梅雨明けの一報が夕方のニュースて流れている。ふとデスクの電話機を眺めていると、ちょうど「りん・・」とベルが鳴った。ヤヴイヌは直感的に任務の連絡だろうな、と思った。こういう凪の平穏なタイミングでの電話は、決まってあの男からの連絡で破られるものだ。
「・・はい、ヤヴイヌです。」
私は沈んだ声で冷たい受話器に話しかけるのだった。受話器の向こうからは、まるでこちらの空気を無視するようなトーンの声が聞こえてきた。

「頻尿喫茶のルートが決まりましたよ!今回もたくさん走って、おいしいものをいっぱい食べましょう!民宿かわはらも予約しておきましたよ!」


かわはら、か。ヤヴイヌは3年前の任務を思い出していた。かわはらとは、知る人ぞ知る和食のスペシャリスト集団で、白米すら自分たちで田んぼから生産を開始する桁違いの連中だ。
表向き有名である料理星付けタイヤ屋集団ですら、かわはらは避けて通っている。理由は、彼らは一店舗につき評価基準の星を3つまでしか持っていない。それは物差しで海の深さを測るようなものだ。
彼らも身の丈はわきまえているということだ。うむ、悪くあるまい。こうして新たな任務が確定した。


 私はクローゼットを開け、その中から慎重にライディングジャケットを一枚選んだ。かわはらに行くならば、それなりに身だしなみを整えなければなるまい。
今回は、こいつで行こう。コッレツィオーネ・ド・ヤマハが提唱する、最新のジャッカ・レッテ(メッシュジャケット)だ。上質なメッシュの風合いと肌触りー。腕を通すとシュルっと音がした。
上質なジャッカでなくては味わえない袖通し感に、思わず口角が緩む。

ヴァ・ヴェーネ・アンディアモ(やれやれ、行くか)そう言い残すとヤヴイヌは部屋から出ていくのだった。

ジャッカ・レッテ(コッレツィオーネ・ド・ヤマハ)
目次

旅の始まり

活気づき始めた祝日の朝を、2台のマシンは颯爽と長野を目指す。最初の目的地は長野だ。ナナハン君がインカム越しに焚きつけてくる。「ヤヴイヌは肉片好きだよねー!今日は馬の●体の一部を食べさせてあげますよ。有名店みたいなのでお楽しみに!」
自信ありげなナナハンくんをしり目に、私はそっとため息をつく。そして、提案をする。

「ナナハン君、昼食まではまだ時間があるから、一度その辺でなんか食べない?」


「おおっ!いいすね!そうしましょう。」


我々は駿河湾SAに入り、朝食を食べることにした。


「いろいろありますねー。なんにします?」

ナナハン君が歯をティッシュで拭きながら聞いてくる。


「私は半玉そばにしますわ。」

私はそう言って、不用意にその辺の蕎麦屋に入っていった。どうせSAのそばなど駅前の立ち食いソバと大差あるまい。ブヨブヨの蕎麦に、ありきたりな業務用のめんつゆの組み合わせ。
何万回も食べさせられた定番の味だが、今日は昼に馬肉を食べるのだ。今から整えておかなくてはなるまい。そのための蕎麦なのだ。味は求めまい。

目の前にあった蕎麦屋にとりあえず入る。
何気なく選んだ、「半玉蕎麦」

ところが、これがなかなか美味しいのだ。しっかりとカドが立った蕎麦は、さらりと爽やかなのどごしでかつ風味も豊かだ。まさかのサプライズに笑みがこぼれる。

「なんだ、やるじゃんよ!」


蕎麦との思いがけない邂逅を楽しんでいると、あの男が現れた。その手にはコンビニのサンドイッチが握られている。きちんと機械によって三角形にカットされたパンに、マヨネーズだかなにやらかがべっちょりと塗り付けられていて、そこに発がん性物質の塊みたいなハムがべっとり挟まれている。
いかにも彼の好みそうな食材だ。レタスのカスがちらりと覗いている。まさかヘルシーとか思っているのではあるまいな・・。

出鼻から不穏な空気を感じたが、時間も限られているので気にしないことにした。見なかったことにして、私は蕎麦を流し込み再び人々の行きかう雑踏へと身を溶かすのだった。

第一章 ~風の始まり~ 美沙

この村に引っ越してきて、もうすぐ五年になる。
けれど、未だに春の風が吹くと、私は東京の窓辺で朝の電車を待っているような気がする。耳を澄ませば、目の前の山から鳥のさえずりが聞こえてくるのに、胸のどこかが都会の雑踏を恋しがる。

私と隆は、いわゆる脱サラ夫婦だ。
東京のマンションで静かに暮らしていた日々が、ある日ぽんとひっくり返されたのは、夕食後の洗い物をしていたときだった。

「なあ、美沙。村に帰ろうと思うんだ」

隆の言葉に、私は思わず皿を割りそうになった。

「村って……あなたの地元の? それで、何をするの?」

「レストランを開きたい。馬肉専門で勝負する」

冗談だと思った。
けれど、隆の顔は真剣だった。皿の泡よりもずっと真っ白な目をして、未来を見つめていた。

それからの数ヶ月は、夢に追われるように過ぎていった。
会社を辞め、荷物をまとめ、隆の実家の近くに古民家を借りて、「うまや」という名前の店を開いた。

店には冷蔵庫と炊飯器と小さなガス台しかなかった。
朝は裏山で湧き水を汲み、午後は地元の精肉業者と交渉し、夜はふたりで試作と失敗を繰り返した。
心細さを紛らわすように、夜な夜なテーブルの上で手をつないだ。焚き火の音と虫の声だけが、わたしたちを見守っていた。

開業して半年。
来るのは、村の回覧板を回すおばあちゃんか、道に迷った登山客だけだった。
一日誰も来ない日には、ふたりで向かい合って黙って馬肉丼を食べた。味は悪くない。でも、誰にも食べてもらえない料理は、いつしか自分たちの存在までぼやけさせてしまう。

そんなある日、ひとりの青年が店の裏に現れた。
夕暮れ時、まだ肌寒い春の風が吹くなか、濡れた靴を履いたまま、彼は頭を下げた。

「ここで、働かせてほしいんです」

振り返ると、痩せた体に古いシャツ、肩から提げた布袋の中に一本だけ包丁が見えた。

「……名前は?」

「龍太といいます」

答え方は素朴で、視線はまっすぐだった。

「どうして、うちに?」

「理由は……あるんですけど、いまはまだ、ちゃんとは言えないです」

隆は無言で厨房から出てきて、彼の包丁を手に取った。
刃は少し欠けていて、でも、何度も研がれた跡があった。

「使い込んでるな」と隆が言うと、龍太は少しだけ笑った。

「料理が好きなんです。誰かに食べてもらえることが、嬉しくて」

――その言葉に、私の胸がじんと熱くなった。

人の手でつくられた料理が、誰かの心をほんの少しあたためる。
それだけのことが、こんなにも苦しいとき、必要だった。

第二章 火の匂い、湯気の向こう

私たちの自慢の料理

龍太が来てから、店の空気がすこしずつ変わっていった。
最初のうちは黙って掃除や仕込みをしていたけれど、彼の包丁が動き出すと、その手元から何かが立ち上がるようだった。
それはたとえば、澄んだ風の音や、川の冷たさ、朝焼けのにおいみたいなもの。

「……この子、すごいよ」
と、ある日隆が言った。
そのときにはもう、龍太が切った馬肉は、まるで桜の花びらのように薄く、艶やかに皿へ並べられていた。

龍太は料理に関して多くを語らなかった。
けれど、盛り付けの端正さ、火入れの迷いのなさ、何より食べたときの“静かな余韻”が、そのすべてを語っていた。

「僕は、魚をやってた時期があって……」
ある日の仕込み中、彼はそうぽつりとつぶやいた。
「でも、うまくいかなくて。今は……こっちのほうが、自分に合ってる気がするんです」

それ以上、私は何も聞かなかった。
言葉の奥に、なにか触れてはいけないものがあると感じたからだ。

それでも龍太は、日ごとに“うまや”の中心になっていった。
常連客がつき、口コミが広がり、月に一度は町のフリーペーパーにも取り上げられるようになった。
カウンター越しに聞こえてくる「美味しかったです」の一言が、まるで自分のことのように嬉しかった。

気がつけば、夜の閉店後に三人で食べるまかないが、一番の楽しみになっていた。

ある夜、涼しい風が戸口から吹き抜けたとき、龍太が言った。

「……僕、そろそろ、自分の店を持ちたいんです」

私と隆は箸を止めた。
静かにうなずいた。

「あんたなら、きっとできるよ」
と、隆は言った。

私はその夜、泣きながら包丁屋に手紙を書いた。
「龍太へ」とだけ名前を入れてもらうように頼んだ。

三ヶ月後、包丁が届いた。
黒漆の鞘に納められた、美しい一本だった。

「がんばれよ」とだけ書いた手紙を添えて、私たちはそれを龍太に手渡した。

彼は何度も頭を下げ、「いつか絶対に、ふたりを超える料理をつくります」と言った。

その背中が、夏の風のように清々しくて、私は泣き笑いしながら見送った。

私たちの“うまや”は、その後も順調だった。
村の名物になり、道の駅のパンフレットにも載り、週末には都会からも客が訪れた。

けれど、パンフレットが運んできたものは、幸せばかりとは限らなかった——

初夏のある午後。
暖簾を揺らして現れた、ひとりの大柄な男。
無造作に引き戸を開け、土足のままズカズカと中に入ってきた。
そして、第一声がこれだった。

「これ、馬の肉って書いてあるけど……量的に、ネズミじゃねぇの?」

背中が、ひやりと冷たくなった。

その男が、すべてを壊していくなんて、思いもよらなかった——

第三章 肉と絶望 青いキャップの男

初夏の風は、ふだんなら山を渡って香ばしい匂いを運んでくるはずだった。
でも、その日は違った。風は止まり、空気がぬるく、店の中がいつもより狭く感じた。

ナナハン君が来たのは、そんな日の昼下がりだった。
「君」と呼ぶにはあまりにも風格のある体つき、大柄で、青いキャップをかぶっていた。
少年のように、白いTシャツと半ズボンのいでたちだった。

「馬肉丼って、これだけ?」
カウンターに座るなり、第一声はそれだった。

「はい、うちはそれ一本でやってます」
と笑顔で応えた。たぶん、その時点で、私たちはもう怯えていたのかもしれない。

「量、少なくね?」

それが最初の矢だった。
目の前に出された丼を見た瞬間、男の眉が片方だけぴくりと上がる。

「馬ってさ、もっとデケェだろ? なんでそのデケェ馬から、こんだけしか取れないんだよ。もしかして、これ、馬じゃなくてネズミの肉なんじゃね?」

私は何も言えず、ただ立ち尽くした。

「オレ、肉好きなんだけどさぁ、これはちょっと足りんなあ、量が。これでこの値段? マジで?」

咀嚼の音が始まった。ブヒーッブヒーッ!——そのたびに私の心の奥の何かが崩れていった。

「さーて、そんでね。次、これさ、ビックマックみたいにして出してくんない?」

「えっ……?」

「重ねてよ。馬肉丼三段重ね! ご飯・馬・ご飯・馬・ご飯・馬! いわば“ビックウマック”! おれはレスラーだから、デカいのが好きなんだよね〜!」

「……それは、できません」

私が言うと、彼の顔が変わった。

「できねぇ? なんで? 金払うんだから、できるでしょ? ランボルギーニだぜオリャ?」

「……すみません、うちの料理は、“量”じゃなくて、“質”を大事にしていて……」

「質〜!? なんだよ質って!? そんなもん俺は噛んでねぇよ! いいから肉盛れよ! ●した馬盛ればいいだろ!」

それでも私が頭を下げると、彼はふてぶてしく立ち上がった。

「なーんだ、期待して損したわ。もう来ねぇよ、こんなネズミ丼屋」

バタン、と扉が閉まる音が、まるで落雷のように響いた。
そのまま、しばらく誰も動かなかった。

「……オレたち、なにか、間違ってたのかな」
隆がぽつりと呟いた。

「わかんない……でも、こんなに胸が苦しいのは初めて」

その夜、会話はなく、食卓には味噌汁だけが置かれていた。

それから数日、私は厨房に立てなくなった。
味が、わからなくなった。

「もう、やめようか」

私のその一言で、隆の顔が曇った。

「……やめて、どこに行くの?」

「わかんない。でも、こんなこと続けるの、もう無理かも」

その夜、ふたりは背を向けて眠った。
夫婦でいる意味も、料理をする意味も、すべてが霧に包まれたまま。

そして翌週の午後。
「うまや」に一台の軽トラックが停まった。
降りてきたのは、紺色の作務衣を着た青年——龍太だった。

彼は何も言わず、ふたりの前に座った。

「……聞きました」

それだけ言って、手にしていた小さな風呂敷を広げた。
中には、一冊のメニュー帳と、使い込まれた包丁。そして、店のロゴが入った古びた布巾。

「まだ、終わってませんよ」

隆は言葉を失い、私は泣いた。

「……でも、私たち……」

「僕が何とかします。あの男を、僕が料理ので黙らせる」

龍太の目は、かつて見たことのない色をしていた。
穏やかでもなく、優しくもなく、ただ真っ直ぐに燃えていた。

「復讐じゃない。でも……料理人として、取り戻したいんです。あなたたちの大事なものを」

その夜、私たちはようやく火をつけた。
ふたたび、馬肉を炙る音が、静かに厨房に戻ってきた。 後編に続く。

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