エラー
「……あら、修ちゃん。また同じ話してるやん。さっきもそのタクアンの話、しとったで」
マキが笑いながら箸を休めると、修一郎は少しむっとした顔でジャックダニエルの小瓶をそっと撫でた。
「いやいや、これはね、マキ。あのときのたくあんと今日のこれは“熟れ”が違うんだ。ちゃんと話せば……」
「……“空気感”が違う、でしょ?うん、もう3回目やで、聞いたの」
ふたりはまるで高校時代の恋人のように、淡くじゃれ合うような雰囲気を漂わせていたが、その空気に小さな亀裂が走り出す。
「たくあんなんて、腐りかけのどぶ付け大根だろう?風味もへったくれもあるかい変態野郎」
いつの間にか結構酔っていたナナハン君が、突然悪がらみを始める。
「それほどの感動を毎回味わえるとは……うらやましい話ですなバーカ!」
「いやね、感動というか、あれは父の……」
「——おい酔っ払い!狂ったのか?何回繰り返しとんねん!」
突然、ナナハン君の低く押し殺したような声が、食卓の隅でぴしりと弾けた。
全員の箸が止まる。修一郎の顔から血の気が引き、マキがその袖をそっと引いた。
「……話を繰り返すのは、あまりお行儀の良いことではありませんな。特に、食事の場で」
「ナナハンさん……」
「あなた方がどれだけ“味”に思い出を添えようとも、それは“今この皿”とは別のことです」
女将が、音を立てずに一歩、調理場から出てきた。
「……ナナハン様。あなたもずいぶんと“分かったような顔”でお話なさいますねぇ。さきほどの白味噌も、量が足りないんじゃなかったでしたっけ?」
ナナハン君の頬が引きつる。彼はすぐさま一礼した。
「それは……申し訳ない。ただの戯れ言でございました。お気を悪くなさらぬよう」
「ふん。そう思うなら、無駄口より味わいなさいな」
再び静寂が食卓を包む。
やがて、また修一郎が口を開こうとしたそのときだった。
「で、そのタクアンの話なんだけどね」
イカれレコーダーが再びエラーを起こしたその時、
——ぎぃ、と椅子が鳴った。
ナナハン君が立ち上がる。
「失礼いたします、少し……風にでも当たってまいります」
その背は怒りに膨らんだ風船のように、ふくらみつつも破裂寸前で抑え込まれているようだった。
彼女の髪を揺らす風
ナナハンは無言のまま、箸を置き、畳を軋ませて立ち上がった。室内に残された静寂を破ったのは、彼の大きな足音ではなかった。
「ブッ!」
それは明らかに意図された放出だった。しかも、ただの通過儀礼ではない。マキの後ろを通るその一瞬のために、ナナハンは体勢を調整したのだ。
もわん、とした温もりが、確かにマキのうなじから頬にかけて流れた。彼女の緩くパーマがかった髪が静かに揺れ、その隙間から鼻腔へとナナハンが通過した。彼女は咄嗟に息を止めた。
「……ちょ、うそやろ……!」
「失礼。」と、ナナハンは一言だけ残して、そのまま土間の方へ去っていった。
次の瞬間だった。修一郎がゆっくりとポーチから黒い布マスクを取り出し、手慣れた動作で鼻と口を覆った。
「うむ、これは……激盛りにんにく唐揚げ丼だ。醤油は関東風、にんにくは国産の青森でしょうな。あ、あと……少量のショウガが混ざっとる」
「……は? なんなん、それ?」
マキは顔を真っ赤にして修一郎を睨みつけた。
「いや、純粋に芳香分析を……」
「アホちゃう!? なんでマスクしとんねん!? まず心配せえやろ普通!」
「いや……これは危機管理というか、防御反応というか……」
「そんなんやからアンタ、いつまでたっても……!」
マキの声は震え、机の上の小鉢がわずかに揺れた。
修一郎はうつむきながら、マスク越しにぽつりと呟いた。
「……ナナハン君、意外と繊細な胃腸してるんやな……」
その言葉が更なる火に油を注ぎ、マキは湯呑を掴んだまま、今にもテーブルをひっくり返しそうだった。
その場に残された女将、マキ、修一郎。
それぞれの顔に浮かぶのは、微妙な緊張、そして“空気を壊した”という自覚。
女将は、静かにひとつため息をついた。
「……はてさて、どうしたものかねぇ。あの男、まだ“出てくる”かしら」
その頃、ヤヴイヌはおしっこを我慢していたが、行くに行けない状況になっていた。
続く
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