マキと修一郎のグルメ旅行2【アニマルスパイヤブイヌ番外編】

薄暮の日本海を背に、古びた木造の宿「かわむら」の食堂には、炭の香りがかすかに漂っていた。
松の無垢材で組まれた柱に囲まれた座敷に、四人の客が静かに膳を囲んでいた。

修一郎は、深く礼をして小鉢をひとつ手に取った。
「こちら、蛸と胡瓜の酢の物でしょうか。胡瓜の薄さが、まるで和紙のようですな……丁寧な仕事ぶりに感服いたします」

「はい、それは能登の地蛸です。今朝、港で締めたばかりのものを使っております」
控えめに返す女将の声には、職人としての誇りがにじむ。

マキはそれを一口食べ、舌の上で転がすようにして言った。
「……うん、酸味に角がない。たぶん、米酢にほんの少しだけ柚子の皮が入ってるんちゃうかな」

女将の目がわずかに和らぐ。「お客様、お舌が肥えておられる」

そのやり取りを見たナナハン君は、なぜか対抗意識を燃やしたらしく、

「なんだあいつらテキトーなことばかり言いやがって。」

「いや、あってると思うよ。俺もそう思うもん。男の服装はヘンタイだなって思うけど」

突然、ナナハン君が大きくふむ、と唸った。

女将が鋭い目線でナナハンを試すかのように一瞥した。

ヤヴイヌはやめときゃいいのに、と思ったが、楽しそうなので様子を見ることにした。

「ほう……これは、いわゆる“前菜”というものですね。なるほど、食前の準備として……唾液を促す役割ということでしょうか」

「いえ、“箸付”です。前菜とは呼びません」
女将の返答は即答だった。ナナハン君は一瞬、口元を引き結ぶが、すぐににこやかに頷く。

「なるほど。勉強になります」

ヤヴイヌは楽しい気持ちになった。普段ピザポテトを買うような人間が慣れないことをするからだ。

「なるほど。勉強になります」

ヤヴイヌは小さい声で繰り返すと、笑いを必死でこらえているようだった。

続いて出されたのは、炙り鰆の柚庵焼き。陶器の皿に、かすかに焦げ目のついた切り身が香ばしく横たわる。

修一郎は箸を置いたまま、手を合わせて目を閉じた。
「この脂の照り……まるで、夕陽が油膜に揺れているようでございますな。焼きの火加減も、見事です」

マキは笑って首を傾けた。
「焼き過ぎるとすぐ崩れる魚やのに、皮はパリッと中ふっくらやな。こういうの、家じゃなかなかできへん」

ナナハン君は頷きながら、鋭く切れ込みを入れた身を口に運ぶ。
「おや、これは“鯖”ですかな?」

女将がじっと睨んだ。「鰆でございます。春の魚ですが、こちらは今朝、能登の沖で上がった脂の乗ったものです」

「……失礼しました。味の幅が広かったので」

料理が進むにつれ、女将の言葉の端は少しずつ尖ってゆく。

・・・味の幅が広い!なんだそれは。ヤヴイヌは腹筋を抑え、必死で意味を理解しようとしていた。

変態警備員カップルの方を見ると、警備員は料理に手を合わせて目をつぶっていた。

女は少し服をはだけさせ、変態に寄り添っていた。

女将は出来上がった料理に鼻をくっつけて、匂いをかいでうっとりしているようだった。
狂った集団だが、料理の腕前だけは常軌を逸していた。

天才とは、こういうものなのかもしれない。

「こちらは、加賀野菜を使った煮物。治部煮風ですが、鴨ではなく地鶏を使っております」

「うわ〜……色が渋い。けど口の中で甘みと出汁が混ざってくる。ね、修ちゃん」

女は色目を使いながら修一郎に絡みついた。

「ええ、ええ!……そしてこの出汁は、おそらく昆布と鰹節の……いや、恐らく干し椎茸も使っておられますな?」

修一郎はウイスキーの角瓶を握りしめ、興奮した様子だった。

女将はしばし無言のまま、軽く一礼しただけだった。

ナナハン君がまた言った。
「こちらは“筑前煮”の一種でしょうか」

「違います」

その即答に、場が一瞬、静まった。

女将は「違います!」の瞬間にナナハン君を刺すような目つきでにらんだ。その目は鋭く、

怪物君のドラキュラの目を思い出させた。

それでもナナハン君は気にした様子もなく、箸を進め続ける。

「おいしい料理ですね。……ただ、私としてはもう少し“ボリューム”があれば、なお嬉しいのですが」

その瞬間、女将の眉がぴくりと動いた。

「当宿では、“量”より“余白”を大切にしております。満腹ではなく、満足を提供することが信条でございます」

ナナハン君は静かにうなずいた。
「ええ、なるほど。“余白”……大切な概念ですね。実に深い」

しかしマキはそのやりとりを見て、テーブルの下で修一郎の手をそっと握った。

「なぁ修ちゃん……あのお兄さん、ちょっとかわいそうやな」
「……いや、あれは自業自得や」

修一郎は苦い顔でジャックダニエルの小瓶を取り出し、ちびちびとやり始めた。

その夜の料理は、あと三品を残すのみだった。
けれど、ナナハン君と女将の間に流れる不穏な空気は、季節の魚の出汁よりもずっと濃く、重く、どこか「祟り」の匂いさえ含んでいた――。続く


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