※この物語はすべてフィクションです。実在する団体・人名・店名などとの関連は一切ありません。
旅の誘い
「たまには千葉でうまいランチでも食わないすか?」
ナナハン君が話しかけてきた。ワナだ。直感的にそう感じた。どうせろくでもない廃墟巡りに違いない。
「ランチがメインですよ!海鮮がおいしいですよ。行きましょう!」
明らかに罠の香りがしたが、確かに最近走っていない。この冬の季節に長距離バイクに乗るのにはそれなりに理由が必要だったりするものだ。
そんなこんなで、我々は1月の房総半島を走るはこびとなった。果たしてナナハン君はどんなツーリングプランを立てているのだろうか。
千葉に着くと、ナナハン君は「とりあえず動画5本撮ります。そのあと山に入って廃墟を撮影してランチにしましょう」というあり得ないようなプログラムを発表した。時計の針は10時を少し回ったところだ。どうやってもランチタイムに間に合うとは思えない。私は仕方なく近所のコンビニでフライヤーをのぞき込む。ラインナップは揚〇鳥と〇〇チキしかなかった。壁に掲げてあった〇〇チキのコマーシャルには、「肉厚で肉汁をしっかり閉じ込め」とあった。揚〇鳥の方には「パリッとした衣の食感とジューシーな肉が味わえるフライドチキンです。」とあった。このパターンだと肉汁をしっかり閉じこめてあるのではなく、ヘビロテされたフライヤーの黒ずみ油を封印してあること請け合いなので、揚〇鳥の方をチョイスすることにした。揚〇鳥は可もなく不可もなくいつも通りの味を私に提供してきた。決して美味しいものではなかったが、この安定感こそ最も必要とされているものなのかもしれない。そう、少なくともコンビニ業界や、タイパにこだわる忙しい現代人にとっては。食事とは、人生を美しく彩る側面を持ち、その一方で生きるための行為であり、そこには宿題的な側面も持ち合わせているのだろう。そんな宿題的なラインナップを眺めながら、少しでもましなものを選ぼうとする人間の悲しき習性と、そこに並ぶ黒油を内にたたえた鳥たちに申し訳なさをおぼえた。
二匹目の鳥
撮影を終えてみると、時計は2時半を指していた。ランチタイムは3時までが通説だと思っていたのだが、このまま廃墟に向かうようだ。彼は足取りも軽く揚々と「楽しみっすねー!ここから40分位でつきますよー」と言っている。もちろん到着するのは廃墟だろう。ナナハン君は再びコンビニに滑り込んだ。当分食事はないから、ここでしっかり食べておけよ、と言わんばかりに。ここまでの私の食事は揚〇鳥と、ナナハン君が買ってきた犬のフンみたいなスナックだ。甘いのを二度がけしてあるのが売りらしい。それをかじりながら撮影をしていたが、これから山に入るにはさすがに空腹だった。よし、カレーパンを食べようじゃあないか。とにかく暖かいものを食べたい。そう思ってフライヤーに近づくと、カレーパンは無くそこには揚〇鳥がひとつぽつんと置いてあった。さすがにナシだろうと思って、店員さんに「ピザまん下さい」と声をかけると、「ピザまん今まだ出来てないんですよねー」と言われた。「じゃあ肉まんで」と言い終わる刹那「全部入れたばっかですー」と言われてしまった。しかたがないので、「・・・じゃあ揚〇鳥で」といって店を出た。私は揚〇鳥を食べるために千葉にきたのだろうか。ひとくち口に入れると、なんというか、さっきと同じ味がした。それだけだ。ナナハン君はなぜか上機嫌で肉まん片手にブヒブヒ鼻を鳴らしてコンビニから出てきた。どうやって入手したのかは謎だった。
山
目的地が近づくと、ナナハン君は憑りつかれたように山に吸い込まれていった。「あっちだ!」とか言ってどう考えても道がない藪を突き進んでいく。暫くすると、漫画に出てくるようなとんでもなく切り立った崖があった。遥か下には小川が流れている。「あっち側に渡りてぇなあ」ナナハン君がつぶやく。狂ったのだろうか。
我々は恐るおそる崖を下り、川を渡った。とてもランチに向かう道には思えない。日が傾きかけていてリスクは増えるばかりだがナナハンくんの足取りは軽く、ぐんぐん進んでいく。とても楽しそうだ。
その後、色々あったがその様子は「ノスタルジックツーリング」に譲るとして、何とか日没までにバイクに戻って来た我々は、昼食に向かうことにした。時計の針はすでに4時を回っていた。
「さあ、ランチの時間ですよー!!」ナナハン君は嬉しそうに笑いかける。
ばんや
全ての仕事を終えた我々は、定番スポットであるばんやに到着した。「5時ラストオーダーです」と言われ時計を見るとあと10分程度で5時だ。10分・・選ぶにはぎりぎりのリミットだ。それではご覧いただこう。諸君は正解がわかるだろうか。
ドストライクの「ばんや寿司」。味もコスパも満点だが、これにとらわれると来るたびにばんや寿司になってしまう。今の私がまさにそれだが、今回こそはばんや寿司の呪いから出なければならない。
「ハンバーグはねえのかよ!」
横でナナハン君が騒いでいる。
魅惑の海鮮丼たち。まずは「地魚海鮮丼」さっぱりとおいしそうだが、登山後の体にはボリューム不足が懸念される。漁師のまかない丼は素晴らしいが、鯛とサーモンのみではちと寂しい。鉄火丼もそそるが、最近のマグロは味が怪しい(そう思いませんか?)ので却下。いくら丼は高すぎて却下。なめろうは千葉感強すぎて却下だ。
揚げ物系は、私の感覚だと鮮度が落ちたものをおいしく食べるための工夫なので、新鮮な場所では全却下だ。
結局私が出した結論は・・・
結局ばんや寿司になってしまった。毎回お品書きも違うので、抗うことは難しいのだ。敗北感にさいなまれたので、机の上に鰺のタタキを並べることにした。予算オーバーだが、必要経費なのだ。
素晴らしきラインナップを目の前に、鉄板の寿司たちに舌鼓を打つ。しばらく夢中になっていたが、ふと気になった。
そういえばあの男はどうしているのだろうか。
龍太
その日龍太は、慣れない手つきで小型漁船の舵をにぎっていた。まさか自分が漁に出ることになるとは。龍太の父は二年前に病気で亡くなるまで地元では名のある漁師だった。そのため龍太の家の食卓にはいつも新鮮な魚料理が並んでいた。しかし、そんな新鮮な魚たちも、そして毎夜船に乗って漁に出かける父のことも龍太は好きではなかった。母はいつも父が漁に出ている間不安そうにしていた。特に天気予報などで風が強い日などは、食い入るようにニュースを見ていた。いつも眠れない様子で父の帰りを待った後、何事もなかったかのように父を迎えた。父になぜ漁師なんかを続けるのか尋ねたこともあったが、父はただ一言「食べた人が喜ぶから」とだけ言った。そんな姿を見て育った龍太は、自分は絶対に漁師になんかならないと強く心に誓うのだった。
高校を出ると、龍太は逃げるように地元を離れ東京の会社に就職した。
いかにも漁師らしく口数少なくぶっきらぼうな父は、龍太が東京に発つ日にも船に乗り、見送りには来なかった。いったい何を考えているのだろう、たぶん自分にも家族にも興味がないのだろう。
就職して一年もすると、龍太は自分の仕事に疑問を感じるようになった。龍太の仕事は、その時調子のよさそうな会社株をクライアントに紹介して、手数料をもらう仕事だった。
「今年はトウモロコシが間違いなく来ますよ。なので、A社の株を押さえておけば収穫期には資産を大きく増やせると思います。」
電話口で相手が怪訝な反応をする。龍太は畳みかける。「これは中々表に出ない優良株なんです。もし不要とのことであれば、他のお客様に回してしまいますが」
・・実際にどこか知らない国でトウモロコシが豊作かどうかなんて、龍太はしらない。しかしこの一年の会社の徹底的な研修によって、飛躍的に嘘がうまくなっていた。たいていの場合もちろんクライアントは大きな損をするのだが、そんなことも知ったことではない。自分の会社さえよければそれでいい。それが社会人一年目で徹底的に仕込まれたことだった。
そんなある日、龍太の会社で株を買っていたクライアントが亡くなったという噂が社内で流れた。どうやら大きな損をしてしまい、それがきっかけとのことだった。龍太が驚いたのはそのことを社内のだれもが気にしていないという事実だった。その人は定期的に会社を訪れていて、挨拶もするので何となくショックな出来事だった。まして、自社で扱った商品がきっかけで亡くなってしまった。にもかかわらず、この会社の中ではいつも通りに笑い声が飛び交い、誰かを不幸にするための商品が販売されている。ここはまともな場所ではない。そして、そこに染まった自分自身も。
父が倒れたという一報を受けたのはそんなタイミングだった。
病院に駆けつけると、しばらく地元を離れていた間に、病院のベッドに横たわる父は随分と小さくなってしまっていた。龍太が駆けつけるのを待っていたかのように、父は息を引き取った。父が最後にかけてくれた言葉は、「うまい魚食っていけ」だった。あんなに嫌いなはずだったのに、涙が止まらなかった。
船出
父の葬儀が終わると、龍太はその足でいったん東京に戻り会社を辞めた。一人暮らしだった部屋を引き取り、母が一人待つ実家に戻った。翌日、龍太は港に係留中の父の船を見に行った。果たして、自分には乗ることができるだろうか。
「おーい」
誰かが呼んでいる。よく見ると、父の漁師仲間の陣さんだった。
「龍太くん、君の話はお父さんからよく聞いているよ。今回は本当に気の毒だったねぇ。何か力になれることがあったらいつでも言ってくれ。遠慮はいらない。俺は君のお父さんに漁師のイロハを教わったんだから。」
龍太の目には、よくわからなかった父という人物の一端を初めて見た気がした。あんなに家族に興味が無さそうだったのに、よく自分の話をしていた?そんなことは想像もしていなかった。そして目の前にいるこの人は、父の人生の全てである漁師というスキルを直接仕込まれている。こんな奇跡があるのだろうか。
「僕に漁を教えてください!」
気がつくと、そう口にしていた。
陣との漁は、とても難しくやりがいのあるものだった。陣は一つずつ丁寧に漁を教えた。龍太はまるで、漁を通じて父と会話をしているような錯覚に捉われることさえあった。そこにあったのは父のやり方、父の生き方そのものだった。
龍太は船舶免許を取得し、すこしずつ漁師の顔になっていった。その頃には父が口にした「食べた人が喜ぶから」という意味も分かるようになっていった。一生懸命働き、対価として人を喜ばす。これ以上の喜びはあるのだろうか。
毎日が充実し、楽しかった。龍太がとった魚を家に持ち帰ると、母はたいそう喜んでくれた。わが家が毎日魚料理だった理由もわかった。こんなことなら、もっと嫌な顔をせずに喜んであげればよかったと若き日の自分を口惜しく思ったりするのだった。
ある日、陣が言った。「そろそろ自分一人で漁に出てみたらどうだい?」
龍太はその言葉を待っていたと同時に、恐れていた。ただ、なにより父に認められた気がしてうれしかった。
龍太の初出航の日は次の週の火曜日に決まった。港には、地元の漁師仲間や同級生などが集まり祝ってくれた。
皆の期待を胸に龍太の船はどんどん沖へと進んでいった。暫く船を進めていくと、漁場についた。
父ちゃん見ててくれ。俺は今日こそ一人前の漁師になってみせる。
大漁旗
今回の出港で、龍太には一つの目標があった。それは、自分が釣った魚をおいしそうに食べてくれるお客さんの顔を見る事だった。父が残してくれたたった一つの言葉「食べた人が喜ぶから」の本当の意味を自分一人の力で試せる、最初のチャンスだった。これがうまくいけば、漁師に転向した自分の判断が正しかったと心から思える気がした。
そんなことを考えながら必死で漁に励んだが、この日龍太はベテランがひしめく漁場で魚を捕ることは容易ではないことを痛いほど思い知らされた。
結局この日はアジがたったの二匹釣れただけだった。
でも、龍太は満足だった。たった二匹のアジだったが、これで誰かを笑顔にできるに違いない。そう思うと、龍太は心に大漁旗を掲げて帰港するのだった。
港に帰ると、龍太は実家へと向かい、一匹目のアジを仏壇に供えた。「初めて自分で全てこなした獲物だ。食べてくれ」そしてすぐに、近所の食堂で働く友人に電話をかけた。「例の約束、頼むよ」
龍太は友人の食堂へと急いだ。魚は鮮度が命、少しでもおいしいと思ってもらいたかった。
食堂につくと、友人がこっそりキッチンの中に案内してくれた。普段は絶対NGなのだが、今日に限っては事情を知った食堂の人たちが粋な計らいをしてくれたのだ。
龍太は自分の釣ったアジに「喜んでもらえよ」と一声かけた後、大切そうに料理長に渡した。料理長は「まかせとけ」とウインクした。
料理長の腕は確かだ。以前は都内の一つ星レストランで料理を任されていたらしい。きっと龍太のアジも素晴らしい作品になってお客さんを笑顔にしてくれるに違いない。アジはすぐに捌かれ、見事なアジフライに姿を変えていた。その姿は光り輝き、龍太の未来を照らしているように思えた。
龍太のアジフライ
こっそり隙間から覗いてみると、龍太のアジフライは二人組の男性客のテーブルに運ばれていった。チビと巨漢の凸凹コンビで、どこか雰囲気が下品だった。二人組の客のうち一人は、散々迷った挙句に定番商品を頼んでいた。もう一人は大声でハンバーグだのステーキだの散々騒いだ挙句に「じゃあミックスフライ」とか言っていた。迷惑だ。プロレスラーだろうか。龍太のアジフライは、レスラーの目の前に吸い込まれていった。さあ、召し上がれ。きっと最高においしい筈だよ!
ナナハン
ブヒィイイ~!!ハンバーグもステーキもラインナップに無いとは、この店も落ちたもんだぜぇ!どれも魚の死体を切って並べただけじゃあねえか。しかたがねぇ、ミックスフライだ!とにかく肉が食いたいんだ!レスラーだぜ俺りゃ!
店員は困ったような顔を少し見せた後、かしこまりました、といって戻っていった。きっとオーダーは伝わっていないだろう。なにせナナハン君の言うミックスフライはカツとかが入ったファミレス的なやつだ。
まあ、そっとしておこう。
ナナハン君はテーブルに足を乗せ、まだ何も食べてないのに楊枝で歯をチッチッと言わせながら料理ができるのを待っていた。そんな彼の前に、鮮やかなアジフライが滑り込んできた。その瞬間私は悟った。こいつは一級品だ。何か特別なものを感じる。しかし彼には分るまい。そういう男なのだ。
おー、来た来た!おせーよ全く!
そう言うとナナハン君はいきなり料理に大量のソースをかけた。
「ビックかっちゃんてうめーよな!ソースいっぱいかけるとおんなじ味になるんだぜ!トリビアだろ!」
そう言いながらいきなりフォークをドスンとソースまみれのアジフライの真ん中に突き刺した。そしておもむろにムシャムシャひとくちで食べてしまった。
わかってはいたが「おいしかった?」試しに聞いてみた。すると、
「うーん、よくわかんねぇけど小さくて味しなかったわ!肉じゃ無さそうだったな。詐欺か?」と言っていた。
ドスン!ムシャムシャ!ドスン!ムシャムシャ!ブッ!
あっという間に平らげると、ブホォ!と大きなゲップをした。しかも、「ちと屁もしたらさ、ちびったかも。便所で拭いてくるわ」と言って行ってしまった。隣の席のご婦人たちが怪訝な顔でトイレに向かう彼を見送っていた。
ナナハン君はテーブルに戻ると、「たんねーなー、なんかねーのかよ」とキョロキョロしていた。
時間は5時。ラストオーダーも終わっている。
まるで実家の冷蔵庫を物色するように店内を見渡していたナナハン君の視線が、ふと一か所に止まった。
思い
龍太はあまりの衝撃に言葉を失っていた。あの男は何なんだ。あんなにも下品にものを食べることができるのか。豚でももっとテーブルマナーが備わっているだろう。つい、凝視してしまった。気がつくと男の目線が自分に向いているのがわかった。
「何見てんだコラ!喰っちまうぞ!」男が言う。まるで鬼だ。
龍「あの・・、味はいかがでしたか?」
鬼「なんだお前、シェフか?味なんてしなかったぞ。ろくに味付けもできねーなら、テーブルの上にタバスコでもおいとけ」
龍「さっきの、僕が初めて一人で獲ってきた魚なんです。」
鬼「ちいせーんだよ!マグロの一本でも釣って来んかい!俺りゃレスラーだぜ!」
龍「・・せめて味の感想だけでも教えていただけないでしょうか?」
鬼「おー、そうだな。少し酸味があったぞ、そういえば。酢漬けかなんかかありゃ?」
チビ「ナナハン君、それソースの味では?店員さん、あの鰺とてもおいしかったです。驚きました」
龍「テメ食ってねーだろうがよ!もういいよ!」
店員さんは、飛び出して行ってしまった。仕事は平気なのだろうか。職場を放棄するほどとはよほどあの鰺に思い入れがあったに違いない。運悪く雑食ゾウリムシの口に入ってしまうとは、なんと不運なのだろう。
まとめ
料理が机の上に並ぶまでには様々な物語や人々の思いがある。食べるほうにも色々ある。そんな二つの物語が出会う食卓という場所で、二つの物語は溶け合って何倍にも輝いて見えるのかもしれない。そんな日常の小さな物語たちを皆さんにお届けするのが、アニマルスパイの大切な仕事なのだろう。
FIN
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